問題設定:ベイズ主義の理念

何かと謎に包まれているトマス・ベイズだが、彼がキリスト教プロテスタントに属するカルヴァン派のイギリス人牧師であったというのは有名な話である。彼はイギリス国教会の教徒ではなかったが、にも拘らず王立協会(Royal Society)に選抜され、僅かな数だがその発表論文は尽く注目を集めていた。ベイズは宗教家としての経歴を歩む中で執筆した『神の慈悲(Divine benevolence)』という論文では、現代の確率論の前身となる理念が宗教的な概念によって叙述されている。

この論文でキリスト教徒であるベイズは、慈悲深き神によって創造された世界において、被造物の苦や悪が何故存在しているのかという神学的な問題設定を導入している。この問題設定の下で彼は、神の究極的な目的が被造物の幸福であると主張していた。ベイズがまず取り上げたのは、欠陥を持つ被造物としての人間存在という人間概念である。そして彼はこの<人間の欠陥>を<神の欠陥>から区別する。ベイズによれば、人類は創造神の意志を完全には理解していないという。神ならぬ被造物には、天上の意志に辿り着くことができない。したがって、この世界の最下部だけを観察しても、幸福が喪失したと結論付けるのは、筋の通らない話なのである。

「神の御業を観察するなら、次のように結論付けることができる。すなわち、神は最も賢明で、力強く、そして無限に完全なる存在である。そのような存在ならば、どのような道理であっても、貧弱とはなり得ない。そうした存在は完全に幸福で、無知(ignorance)や弱さ(weakness)とは無縁である。そして結果的に、神は、悪行にも、あるいは自らの被造物の幸福を損なう何物にも、何ら影響をもたらし得ない。」

Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams’s Library, 14 Gordon Square, London, WCl)., p20.

問題解決策:神学から確率論への展開

ベイズの死後、1763年にリチャード・プライスの貢献によって出版された『偶然論における問題解決のための試論(An essay towards solving a problem in the doctrine of chances)』では、この理念が確率論的に再記述されている。一見すればこの論文は、未知なるデータの観測から世界の事象に対する確率論的な信念を構成することが如何にして可能になるのかという、統計学的な問題設定を導入しているように視える。しかしその背景にあるのは、<人間の欠陥>と<神の欠陥>という先述した区別であった。

プライスは、ベイズの確率論的な思考法を紹介する上で、太陽の観測者を例示している。この世に生を受けた観測者が初めて日の出を観た場合、その観測者には、その事象が正常なのか異常なのかを区別することができない。しかし、この事象を日々観測し続けるうちに、次第にこれが自然界では永続的に起こることなのだと認識するようになる。これは一種の統計的な推論に基づく学習だ。つまり観測者は、観測を反復することによって、太陽は明日も昇るという予測を繰り返すようになる。そしてその予測が的中する確率が、その観測者の信念においては、100%に近似されていくのである。

ニュートン=ライプニッツ論争の時代背景

ベイズもプライスも、世界の本質が確率論的であると述べている訳ではない。厳密に言えば、ベイズの確率論は、彼が生きた18世紀のイギリス数学会との関連からも方向付けられている。ニュートン力学を異様なまでに熟知していた彼は、自然が不変で予測可能な法則に従っていると考えていた。ベイズがニュートン力学に精通していたのは単なる偶然ではない。17世紀から18世紀にかけてのイギリス数学会がアイザック・ニュートンとゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツにおける微分積分法や無限小概念の先取権論争の直接的な影響を受けていたことを踏まえれば、当時イギリスで活動していたとされる数学者としてのベイズがドイツのライプニッツではなくイギリスのニュートンに準拠していたのは道理である。

世界それ自体が確率論的であると認識されるようになるのは、ルードヴィヒ・ボルツマンを筆頭とする19世紀末から20世紀初頭にかけての量子力学、統計力学、そして熱力学の新しい理論が記述されるようになってからである。ベイズの時代ではまだ、ニュートン力学が規定するような、決定論的な世界観が支配的であった。つまりベイズの確率論は、決定論的な世界に対する分析方法として機能していたのである。

問題解決策:<自責>と<他責>の区別

世界それ自体が決定論的であるにも拘らず、世界に対する分析者の方法それ自体は確率論的であるというこの理念は、<神の完全性>と<人間の欠陥>の区別と精確に照応している。もしも人間もまた完全なる存在であるのなら、その分析方法も決定論的な方法となっても不思議ではない。<人間の欠陥>を容認する謙虚な姿勢があるからこそ、分析者は確率論的になり得る。

アナリストのネイト・シルバーも解説しているように、ベイズとプライスのこの確率論は、世界を学習する方法を解説した叙述となっている。つまり、証拠を蒐集すればするほど、真理に近付いていくという、推論を介した世界の学習方法こそが、ベイズの確率論の真髄なのである。この確率論の真髄には、ベイズの神学的な理念が照応している。学習とは、自らの未熟さを前提としている。自身を完全であると信じる者に、学習の方法は不要だ。

ベイズの確率論的な思考に内在する理念は、<神の完全性>を信仰すると同時に、<人間の欠陥>を容認することを推奨している。<人間の欠陥>ゆえに上手くいかない出来事があったとしても、彼は決してそれを「神様のせい」などとは考えなかった。無知や弱さは、神ではなく人間の性質なのである。こうして、自身の不完全性を認める謙虚さと、能動的に世界を探索していく<自責>的な学習こそが、ベイズ主義の理念となる。逆に言えば、問題が生じても「神様のせい」だの「運が悪かった」などと<他責>的に考える人間には、そもそもベイズ主義の適正は皆無であると考えられる。それは深層学習の企業内研究開発にも尾を引くであろう。

参考文献

  • Bayes, Thomas, (or Noon, John). (1731) Divine benevolence, or an attempt to prove that the principal end of the divine providence and government is the happiness of his creatures, Printed by John Noon at the White Hart, Mercers Chapel in Cheapside.(Dr Williams’s Library, 14 Gordon Square, London, WCl).
  • Bayes, T., Price, R., & Canton, J. (1763). An essay towards solving a problem in the doctrine of chances.
  • Cooper, Gregory F., Herskovits, Edward. (1992) A Bayesian Method for the Induction of Probabilistic Networks from Data, Machine Learning, 9, pp309-347.
  • Cowles, M., & Davis, C. (1982) On the origins of the .05 level of statistical significance. American Psychologist, Vol. 37, No. 5, pp553-558.
  • Silver, N. (2012). The signal and the noise: why so many predictions fail–but some don’t. Penguin.
  • Simon, Herbert Alexander. (1976) Administrative behavior: a study of decision-making processes in administrative organization, 3th Edition, Free Press.