問題設定:テクニカル派の投資戦略は如何にして可能になるのか

テクニカル派の分析は、群集心理の要因を重視した「空中楼閣(Castle in the air)」の投資戦略に基づいて、的確な売買のタイミングを予測しようとする分析である。この分析方法に直接的な思想的影響を与えたのは、経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1936年に著した『雇用、利子、および貨幣における一般理論(The General Theory of Employment, Interest and Money)』である。テクニカル派の思想を確認する前に、まずはケインズの記述を観察してみよう。

問題解決策:「空中楼閣」の投資戦略

ケインズの株式市場に対する観点は、金融資産の評価ではなく、明確に群集心理に向けられている。ケインズによれば、投資家は企業の本質的な価値を発見することには注力していない。投資家が注視するのは、他の投資家が如何に選択するかである。

優れた投資家は、どのような市場の状況や社会的背景が大衆や群衆の空中楼閣の構成を引き起こしているのかを探索することで、他の投資家が気付く前に先手を打ち、ゲームに勝利しようとする。ケインズは、企業の将来的な収益の見積もりや株式配当がどの程度になり得るのかは、誰にも精確に予測することができないという。それ故に大多数の投資家は、金融資産を長期間保有する場合に得られるであろう利益を精確に予測しようなどとは考えずに、他の投資家よりもほんの少しだけ早く、株価水準の変動を予測する方に関心を持つという。

この関連からケインズは、株式投資を美人コンテストの投票に喩えている。このコンテストでは、美人として選抜された候補の割合に最も近い割合で投票をした投票者たちに多額の賞金が与えられる。こうしたコンテストにおいて各投票者は、自分が美人だと思う相手に投票するよりも、他人が美人だと思う対象に投票する。つまり投票者たちは、候補者を観察するのではなく、候補者の観察者を観察するのである。

ファンダメンタルズ派の本質価値に対する見通しとは異なり、テクニカル派の投資家たちにとっては、最終的にゲームに勝利すれば良いという発想に近い。と言うのも、たとえ本質的な価値に見合わない価格で株式を購入してしまったとしても、それによりも高い価格で他の投資家に売り付けてしまえば、何も問題は無いからである。

したがって、この空中楼閣のゲーム世界では、常に新たなカモが参入することが想定されている。ある投資家にとってのカモとは、その投資家が支払ったよりも高い価格で、その投資家が有する株式を購入する投資家である。そうした先行参入者たちのカモとの取引を通じたコミュニケーションが構成されている限り、このゲームはいつまでも持続する。

ただし、情報の非対称性と希少性は基本的に変わらない。このゲームは先行優位に動く。

「長期に渡る投資の見込み収益を予測するというより、ほんの数ヶ月ほど先の世間の価値評価の基礎を予測する闘争は、公の場に投資の専門家の餌食になるためのカモ(gulls)が必要になる訳ではないーーそれは専門家同士でもプレイすることができる。世間的な価値評価基準が真っ当な長期的な有効性を有するなどといった単純な信念(faith)もまた、維持する必要すら無い。何故ならそれは、言わばスナップ(Snap)というゲーム、ババ抜き、あるいは椅子取りゲームのようなものであるからだ。スナップでは、早過ぎもせず遅過ぎもしないタイミングでスナップと言った者が勝者となる。ババ抜きでは、ゲーム終了時までにババを隣のプレイヤーに回せば勝者となる。そして椅子取りゲームでは、音楽が止まった時に自分の椅子を確保できている者が勝者となる。こうしたゲームでは、熱心に愉しく遊ぶことができるものの、参加するプレイヤー全員が、ババが回ってくることは承知している。音楽が止まれば、誰かは椅子を持たざる者になることも知っているのである。」

Keynes, J. M. (1936) The General Theory of Employment, Interest, and Money. In Keynes, J. M., Moggridge, D. E., & Johnson, E. S. (1971). The Collected Writings of John Maynard Keynes (Vol. VII). London: Macmillan., pp155-156.

チャーティストたちは、株価がネックラインを切る瞬間を息を殺して待ち構えている。その明確な売りのシグナルこそが、啓示の瞬間なのだ。それはチャーティストにとって、恰もドラキュラが犠牲者の白い首筋を前にした時のように、歓喜に満ちた瞬間となる。そして彼らは、そのシグナルの出現と同時に、売りに転じる。何故ならこのシグナルは、過去にそうであったように、長い下げ相場の始まりを意味するためである。

問題解決策:「投資的収益」と「投機的収益」の区別

ケインズに準拠するなら、株式市場の収益(stock market returns)は「投資的収益(Investment Return)」と「投機的収益(Speculative Return)」に区別できる。投資的収益とは、有価証券を売買することによって得られる収益ではない。それは金利や配当を受け取ることで、長期に渡り価値の増大の恩恵を受けることで得られる収益なのである。

その長期的な展望は、ベンジャミン・グレアムが述べたような「標準的で、保守的で、面白みに欠ける形式(standard, conservative, and even unimaginative forms)」に辛抱強く準拠する投資家の姿勢があってこそ成り立つ。逆に言えば、テクニカル派の投資家たちは、投資家ですらない。テクニカル派の自称投資家たちが手にするのは、投機的収益である。実際、有価証券の売買は投機的収益の側に位置付けされる。その恩恵は短期的にしか持続しない。

「こうした『テクニカルなアプローチ』のほぼ全てに該当する原則の一つは、株式や市場が値上がりしたなら買わなければならず、逆に値下がりしたなら売らなければならないということである。これは他の業界の健全なビジネスの感覚とは正反対である。このアプローチがウォール街の継続的な成功に結び付く可能性はほとんど無い。」

Graham, B. (1965). The intelligent investor. A Book of Practical Counsel. Revised Edition., Updated with New Commentary by Jason Zweig, pp.2-3.

問題解決策:「現実の市場」と「期待の市場」の区別

投資家ジョン・ボーグルは、この関連から、株式市場そのものを「現実の市場(real market)」と「期待の市場(expectations market)」に区別している。とりわけ後者は、「期待効用理論(Expected utility theory)」や「プロスペクト理論(Prospect theory)」を記述してきた「行動ファイナンス(Behavioral finance)」の学派たちが好んで描写してきた投機家たちの認識によって構成されている。

市場という舞台やルールが異なる以上、そこで展開されるゲームの性質もまた異なる。つまり「投資の市場」におけるゲームと「期待の市場」におけるゲームとの間には、歴然たる差異があるのだ。

ケインズは、過去の経験が何故そのように成立したのかという理由を理解せずに、それを将来の根拠とすることは危険であると述べている。しかし逆に言えば、過去の出来事の原因を理解することができるのなら、将来に関する合理的な予測は成り立つということになる。ケインズは実際、長期的な株価の予測は「企業(enterprise)」と「投機(speculation)」に左右されるという。ここでいう企業とは、つまり資産の期待収益率に関する指標である。一方で投機とは、行動ファイナンスで主題となるような市場の心理の分析を意味する。

問題解決策:「勝者のゲーム」と「敗者のゲーム」の区別

この企業の分析と投機の分析の区別が、投資家ボーグルの「投資哲学(investment philosophy)」における主導的差異として機能している。ボーグルはまず、利子が利子を生み出すという福利(compound interest)の魔術(magic)的な奇跡(miracle)を脱魔術化する。企業の成長性、生産性、戦略、そしてイノベーションを想定するなら、資本主義は無尽蔵に富を生み出す。それは、株式の所有者にとっては非ゼロサムゲームである。したがって、長期的な株式投資は、「勝者のゲーム(Winner’s Game)」となるのである。

「しかし、投資のゲームを興じるコストは、勝者の利得を減らすと共に、敗者の損失を増やす。だとすれば、誰が勝者となるのか。(略)我々の金融ディーラーは常に勝つ。競馬では、常に競馬場が勝つ。パワーボール宝くじでは、常に州が勝つ。投資でも同様である。投資のコストを差し引いた後では、市場に勝とうとすることは、敗者のゲーム(Loser’s Game)となるのである。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., p.xv.

投資のコスト

常に「勝者のゲーム」を興じている中間業者は、投資家が支払うコストによって潤い続けている。グレアムの皮肉に満ちた言い回しを借りるなら、中間業者は手数料を稼ぐためのビジネスを展開しているのである。

「ほとんどの株式取引所は、依然として旧いスローガンを堅持している。そのスローガンは、手数料を稼ぐためのビジネスに取り組むことである。このビジネスを成功させる方法は、顧客が必要としている事柄を提供することである。最も収益性の高い顧客は投機的(speculative)な助言や提案を求めている。故に典型的なファームは、市場における日々の取引に対して非常に親身になった考え方や振る舞いを示している。」

Graham, B. (1965). The intelligent investor. A Book of Practical Counsel. Revised Edition., Updated with New Commentary by Jason Zweig, p262.

投資家を集団として観た場合、投資家が得る株式市場の利益は平均並みである。誰かが市場を上回る超過収益を獲得すれば、それと同じだけの損失を他の投資家が被っていることになる。株式市場を構成する上場企業がもたらす利益は、市場に参加する全ての投資家が獲得する利益の総額と必ず等しくならなければならない。だがそれらの投資家たちが獲得する利益の純額は、中間業者に支払うコストの額だけ減ることになる。

「投資に要するコストを差し引く前では、市場に勝とうとすることはゼロサムゲーム(zero-sum game)となる。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., p.xiv.

それ故に投資で成功するには、投資した企業がもたらす利益において、中間業者が存在するが故に伴うコストを最小化しなければならない。そうすることで、実体経済にもたらされる利益を最大化する必要があるのだ。例えば、株式の売買を最小限に抑えれば、市場の利益から公平な利益を獲得できる可能性は大いに高まる。株式市場に連動する広く分散化されたコストの低いポートフォリオを保有することも、「勝者のゲーム」となる。

「大多数の投資家たちは、準ビジネス(quasi-business)として投資するための時間も、決意も、あるいは精神的な備えも持ち合わせていない。したがって、彼ら彼女らは防衛的なポートフォリオ(defensive portfolio)から得られる優れた利益に(更にはそれ以下の場合も)満足しなければならない。そして、他の道に逸脱することによって、この利益を増加させる継続的な誘惑に対して強く抵抗するべきなのである。」

Graham, B. (1965). The intelligent investor. A Book of Practical Counsel. Revised Edition., Updated with New Commentary by Jason Zweig, p176.

「空中楼閣」を想定するテクニカル派たちのように、他の投資家たちを出し抜くためのゲームに参加する投資家たちの間でも、勝敗は分かれる。勝者が手にする収益は必然的に敗者の損失と同値となる。だが取引が白熱する中、他者を出し抜こうとするコストの高い競争で唯一確実に勝者となり得るのは、金融制度の中心に身を置く者たちである。大きな利益を確実に得るのは資産運用会社であって、その顧客となる投資家たちではない。投資家たちは最初から「敗者のゲーム」に参加している。その舞台となるのは、「現実の市場」ではなく「期待の市場」である。

「株式市場は一つの巨大な狂気(giant distraction)となる。それは、投資家の注意を、企業の事業によって得られる収益を徐々に蓄積していくという本当に重要な事柄よりも、むしろ一時的で移ろい易い投資の期待に向けさせる。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., p20.

投資信託のコスト

ボーグルによれば、投資のコストに盲目的な投資家たちは、投資信託をも「敗者のゲーム」としてしまう。コストとして徴収される損失に気付かずに、あまりにも多くの投資信託の投資家が、購入時手数料や信託報酬などのような費用を喜々として支払っているばかりか、異常なまでにポートフォリオを回転させる結果として、フォンドが支払う膨大かつ未公開の取引手数料を知らず知らずのうちに負担することになる。

「投資における憎たらしい皮肉だが、投資家を集団として観れば、投資家は自身が支払った分だけ損をするのではなく、支払わずに済んだ分だけ得をしているのである。だから、何も支払わなければ、全てを手に入れることになる。それこそが唯一の常識(common sense)である。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., p37.

ボーグルは、投資信託のコストを次の三つに区別している。第一に、ファンドの経費率だ。これは永遠に一定である。資産が増大すれば比率を下げるファンドも存在するが、その軽減率は大抵控え目に設定される。第二に、購入時手数料が挙げられる。これは購入の回数に比例して増大する。そして第三に、ポートフォリオに含まれる証券を売買する際のコストである。「金融のプロ」がポートフォリオを回転すればするほど、このコストは肥大化する。

「対照的に、投資した後、そうしたゲームからドロップアウトし、二度と不要なコストを支払わない者たちにとっては、成功に有利となるオッズ(odds)は大きなものとなる。何故か。それは単純に、彼らは事業を所有しているだけであって、集団としての事業は実質的に資本を返し、所有者に配当を支払うからである。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., p.XVII.

派生問題:アクティブ運用のパラドックス

ベンジャミン・グレアムの代名詞は「バリュー投資(value investing)」であるとされている。しかし、彼の古典的な著書である『知的な投資家(The Intelligent Investor)』を読めば、それが現実的で保守的なポートフォリオ戦略に注力していることがわかる。つまり投資の分散化と合理的な長期的展望を持つことである。入念な安全分析を通して割安銘柄を選択することは、二次的な問題に過ぎない。

ポートフォリオ最適化問題における「効率的市場仮説」のパラドックス

ボーグルが言い当てたように、グレアムの投資戦略は現代の「インデックスフォンド(Index fund)」と「アクティブファンド(Active fund)」の区別を先取りしている。彼の「標準的で保守的で面白みに欠ける形式」に準拠した投資戦略は、株式市場に連動するインデックスフォンドという概念に、不気味なほどに照応しているのである。個別銘柄よりも投資の分散化こそを防衛的な投資手段と考えていたグレアムは、まさに現代の株式インデックスフォンドの先駆的な発想を有していた。

アクティブファンドは、テクニカル派と同様に、グレアムの「標準的で保守的で面白みに欠ける形式」から逸脱している。その運用方針は、市場の平均値を上回ることである。ボーグルによれば、この方針が投資的収益への長期的展望に欠けるのは、アクティブファンド自体の寿命が高々10年程度であるためだ。そのため、生涯を通じた資産運用者がアクティブ運用を選好する場合には、生涯に渡って、手数料をはじめとする諸々のコストの負担を背負い続けることになる。そして10年ほど経てば、そのファンドは寿命を迎える。資産運用を継続したいのなら、また別のファンドを相手に、コストを支払うことになる。

一方、これに対してインデックスファンドは、少ない手数料と最低限の取引コストで運用することができる。インデックスフォンドは市場全体に連動し、運用会社に依存することなく、生涯に渡って利益をもたらす。インデックスフォンドを利用する投資家にとっては、株式市場の指数に連動する伝統的なインデックスファンドを底値で取得することこそが、究極的な戦略となる。

もし個々のファンドマネージャーが市場に勝利することができるというアクティブファンドの想定が正しいとするなら、金融市場の経済システムは自己言及のパラドックスに陥るであろう。平均的なファンドマネージャーが長期的に市場平均を超えることが可能であるとするのなら、それは事実上、株式市場の専門家の<全体>が<自己自身>に勝つということである。合理的な勝負事としては、あまりにも論理を破綻させてしまっている。

市場の平均以上を目指すアクティブファンドには、このパラドックスを隠蔽することができない。これに対してインデックスフォンドは、このパラドックスを回避している。市場という名の<自己自身>に勝利しようとしないからこそ、インデックスフォンドは自壊しないのである。

派生問題:時間

このように、ボーグルの投資哲学によって導入されている「勝者のゲーム」と「敗者のゲーム」の区別は、中間業者が存在するが故に伴う「コスト」という指標に準拠している。デイトレード(day trading)のように、何度も取引を繰り返す投資家は、無論手数料をはじめとした膨大なコストを支払うことになる。投資信託に依存する投資家たちもまた、潜在的なコストを支払うことになる。こうしたコストは、時間の経過と共に膨れ上がる。

「投資の領域では、時間は全ての傷を癒やす訳ではない。時間は全てを悪化させるのである。収益との関連では、時間は友となる。しかしコストとの関連では、時間は敵になる。」

Bogle, John C. (2007). The Little Book of Common Sense Investing: The Only Way to Guarantee Your Fair Share of Stock Market Returns, John Wiley & Sons, Inc., pp.41-42.

しかし、ボーグルの投資哲学において難儀となるのは、「勝者のゲーム」と「敗者のゲーム」の境界設定である。注意しなければならないのは、「コストパフォーマンス(Cost performance)」を重視しているからといって、合理的であるとは限らないということだ。「勝者のゲーム」は別のあり方でもあり得る。

「時は金なり(Time is Money)」という諺を重視する者なら、より少ない時間的なコストから即時的にパフォーマンスを得ようとするかもしれない。勝利条件の定義は個々の投資家の方策にも依存する。だとすれば、ボーグルが導入した「勝者のゲーム」と「敗者のゲーム」の区別もまた、別のあり方でもあり得ることになる。ある投資家にとっては「勝者のゲーム」である投資が、別の投資家にとっては「敗者のゲーム」となる可能性も、否定できないのである。

参考文献

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