問題設定:投機と投資の境界

経済学や近代ファイナンスの領域では、「投機(speculation)」と「投資(investment)」の区別が、貨幣の支払いを通じた資本主義的な取引の形式として導入される傾向にある。しかしこの区別の境界線は、しばしば曖昧なままに留まる。

投機は、投資に比して短期的でリスクが高い。投資はより長期的な展望から観察されている。だがこの短期と長期の区別やリスクの概念は、投機や投資の取引を制度化している経済システムの社会構造によって左右される。投資をしているつもりの投資家でも、後から振り返れば投機的であったということは、間々ある。

問題解決策:利益と割引率の区別

投機や投資で取引される対象が「株式(stocks)」である場合、とりわけこの取引の意味合いは不確実になる。株式の制度には、企業の所有権を分散させることによる有限責任の形式を導入することで、事業に失敗した場合の損失を限定的にするという機能がある。この機能により、資金調達の負担軽減が可能になると共に、事業者を挑戦へと駆り立てることを可能にする。投機や投資を実践しても、その取引のコミュニケーションがどのような意味を持つのかは、その後に続く経済的なコミュニケーションに依存するのである。

株式の機能は、株式会社が将来的に生み出す利益の全てを現在の価値に変換することにある。ある株式会社の株を100%所有している場合、その会社は自分の所有物となる。その会社が生み出す将来的な利益は、全て自分で所有していることになる。この意味で株式とは企業の所有権である。企業という組織システムは、経済の機能的問題領域との関連からその作動を継続する限り、常に利益と損失を生み出す。したがって株式の価値は、将来的にその企業が生み出す利益の総額に等しい。

株式の取引からは多くのことが学べる。貨幣の価値は、未来になればなるほど低下していく。貨幣の所有者は、より先の未来になれば、それだけ貨幣の価値を揺るがす不確実なリスクに曝されるためである。この貨幣の価値を計算する上で重要となるのが、「割引率(discount rate)」だ。このパラメタは、現在に近いほど価値が上がり、未来になるほど価値が下がるように調整するパラメタとして機能する。株式の価値が企業の将来的な利益の総額である。その利益は、この割引率の形式によって、現在の価値に変換される。

したがって、株式の価値を計算するために必要となる情報は、究極的には二つしかない。それは将来的に生み出される利益と割引率である。一株の利益が大きければ株価も高くなる。株式の価格は、割引率に反比例する。一見してこの計算過程は完全に定量化されているかのように思える。だがこの定量化の前提となる思想には、投資家ごとに差異がある。

問題解決策:ファンダメンタルズとテクニカルの区別

投資と投機の区別は、「ファンダメンタルズ(Fundamentals)」と「テクニカル(technical)」の区別によって再記述される傾向にある。長らく株式の投資家たちの間では、本質の分析(Fundamental analysis)を重視する「ファンダメンタルズ派」とチャートのテクニカルな分析(Technical analysis)に専念する「テクニカル派」の論争が繰り広げられてきた。

チャールズ・ダウの「ダウ理論(Dow Theory)」が脚光を集めて以来、テクニカル派の観点は、トレンド(Trend)や反転シグナル(reversal signal)、ローソク足(Candlestick)などのように、様々な株価チャートの形態に向けられてきた。テクニカル分析の理念は、株式投資に関わる全ての情報が株価チャートに埋め込まれているという前提から成り立っている。株価と日数のようなテクニカル指標が全てであって、それ以上に「本質的(fundamental)」な指標は無いと考える。

一方、ファンダメンタルズ派は、企業にはそれ固有の本質的な価値があるという。そして本質の分析者は、この価値を合理的かつ適正に定義できるという。理論的には、株価は本質的な価値から合理的に決定可能であるということになる。形式的には、企業の現在価値を定義することは可能である。それは株価の現在価値の定義に重なる。

しかしながら、分析者が得られる情報は限定的である。この将来予測と割引率の計算を実行することは、困難極まりない。ウォーレン・バフェットのように、財務諸表や年次の報告書を判読すると共に、競合他社の情報と突き合わせながら事業展開を推論すれば、確かにその企業の本質的な価値が視えてくるのかもしれない。そして、将来性があるにも拘らず割安で放置されている銘柄を発見できれば、それを長期保有することで、株価の増減に振り回されることなく、利益を得ることが可能になる。

一方、テクニカル派の投資家が本質的な価値ではなくチャートを分析するのは、そこに他の投資家たちの期待が反映されていると考えるためである。株価の変動を予測するには、その背景にある期待とその期待外れの変異を予測しなければならない。そしてその期待と期待外れに対する対応は、必ずしも合理的ではないという。

問題再設定:ポートフォリオ最適化問題

ノーベル経済学賞を受賞したハリー・マーコウィッツの投資の「分散化(diversification)」に始まり、ウィリアム・シャープの「資本資産評価モデル(Capital Asset Pricing Model: CAPM)」を経由した近代のファイナンス理論は、投資家の合理性を前提とした理論として記述されている。投資家であれば誰でも、リスクと収益(return)の区別を導入している。

ポートフォリオ最適化問題では、このリスクを収益率の「分散(variance)」で、収益を収益率の「期待値(expected value)」で記述する。分散が小さければ、期待値からの逸脱は小さく、リスクも小さいと見積もれる。だが株式は、暴騰や暴落を繰り返すために、分散は大きくなる。そこで投資の「分散(diversification)」が推奨されることになる。

n個の資産iの期待収益率を$$r_i$$、資産iへの投資比率を$$x_i$$とするなら、ポートフォリオの期待収益率は次のような加重平均となる。$$\hat{r}_p = \rm{E}(\bar{r}_p) = \rm{E}\left(\sum_{i=1}^{n}\bar{r}_ix_i\right) = \sum_{i=1}^{n}\bar{r}_ix_i$$資産iの収益率の標準偏差を$$\sigma_i$$、資産iと資産jの収益率の共分散を$$\sigma_{ij}$$とするなら、ポートフォリオの収益率の分散は次のようになる。

$$\sigma_p^2 = \rm{E}\left((\bar{r}_p – \hat{r}_p)^2\right) $$
$$= \rm{E}\left[\left(\sum_{i=1}^n(\bar{r}_i – \hat{r}_i)x_i\right)^2\right] $$
$$= \sum_{i=1}^n\sum_{j=1}^n\rm{E}\left[(\bar{r}_i – \hat{r}_i)(\bar{r}_j – \hat{r}_j)\right]x_ix_j = \sum_{i=1}^n\sum_{j=1}^n\sigma_{ij}x_ix_j$$相関係数を$$\rho_{ij}$$とするなら、共分散は$$\sigma_{ij} = \rho_{ij}\sigma_i\sigma_j$$となる。するとポートフォリオの収益率は、次のように再記述できる。$$\sigma_p^2 = \sum_{i=1}^n\sum_{j=1}^n\rho_{ij}\sigma_i\sigma_jx_ix_j$$$$x_i = \frac{1}{n}$$と単純化することで、投資比率を等価と仮定するなら、$$\sigma_p^2 = \sum_{i=1}^n\frac{\sigma^2}{n^2} + \sum_{i=1}^n\sum_{j=1}^n\frac{\rho\sigma^2}{n^2} = \left(\frac{1 – \rho}{n} + \rho\right)\sigma^2$$となる。ただし、$$ \rho_{ij} = \begin{cases} 1 & (i = j) \\ \rho & (i \neq j) \end{cases} $$

したがって、資産数nを増やせば、それだけ分散は下がる。相互に相関が0の資産を無限に所有すれば、分散はゼロになる。尤も、分散をゼロにすれば良いという話でもない。何故なら投資家は、リスクを取ることによって、期待収益を高めることもできるためだ。マーコウィッツの洞察の肝となるのは、このリスク概念が分散概念と照応している点である。

「期待収益最大となるポートフォリオは、必ずしも分散最小となるポートフォリオである訳ではない。一定の割合で、投資家が分散を取ることによって期待収益を獲得する可能性もあれば、期待収益を断念することで分散を減らす可能性もある。」

Markowitz, Harry. (1952) “Portfolio Selection”, The Journal of Finance, Vol. 7, No. 1., pp.77-91., 引用はp79より。

だが現実的には、投資を分散化しても、全てのリスクを取り除くことはできない。何故なら株式とは、程度の差はあれ、同じ方向に増減する傾向があるためだ。加えて、所有している資産が相互に無相関であるという保証は、完全には得られない。ファイナス理論が仮定するところによれば、市場は微粒子のブラウン運動の如く、アトランダムに振る舞うためである。そこでファイナス理論では、株価の増減の「傾き」に着目する。この傾きを「期待収益(expected return)」と名付け、この値が正であれば、株価はアトランダムでも長期的には増加傾向を示す。逆にこの値が負ならば、株価はアトランダムでも長期的には減少傾向を示す。

ブラウン運動の根源としての金融市場

問題解決策:形式としての「ベータ」

かくしてファイナンス理論は、分散と期待収益を用いることで、株価の数学的な定式化を可能にした。それと同時に、異なる株式同士の比較可能性を確保している。それぞれの株価は、それぞれの期待収益と分散によって、それ固有のリズムで、増減している。

投資家は、それぞれの銘柄のリズムを計算することで、リスクを分散し、時にはそれを相殺することもできる。この投資の分散化の発想は、リスクの区別を導入する上での規則としても機能している。例えばウィリアム・シャープらは、収益の変動性の中でも、株式市場全体が変動するか、全ての株式がある程度同じ向きに増減することから生じるリスクを「システマティック・リスク(Systematic risk)」と名付けた。システマティック・リスクではない非システマティック・リスクとなるのは、ストライキや新製品の発表など、その企業固有の要因によって生じるリスクである。非システマティック・リスクは、企業固有のリスクであるため、投資の分散化によって低減できる。一方、システマティック・リスクは投資を分散化させても低減できない。

シャープが導入したCAPMは、それぞれの株式を市場全体の状態と関連付ける方法である。各銘柄の株価の状態は市場全体の状態から影響を受けて規定されている。ここでの全体とは、例えば平均を表している。平均株価が増加すれば、それに連なり、各銘柄の株価も上がるという訳だ。ただし銘柄によって、影響を受ける度合いは異なる。この差異を計算可能にするのが、いわゆる「ベータ(beta)」というパラメタである。

市場全体に照応する株式とポートフォリオが完全に相関している場合、株式投資はポートフォリオそれ自体への投資の代用となる。このことが表しているのは、株式とポートフォリオがより固定的な比率を有するという、完全な相関関係である。ここでの固定的な比率が「ベータ」と呼ばれ、一方で定数は「アルファ(alpha)」と呼ばれる。より定式化して言い換えれば、株式の超過収益は、ポートフォリオの過剰収益、アルファ、そしてベータの関数となる。

$$E_s – r_f = \alpha + \beta(E_p – r_f)$$

この数式が指し示しているのは、αがゼロよりも大きい定数であるために、株式の期待収益率と無リスク金利(risk-free rate)の差が、資産の期待収益率と無リスク金利の差のベータ倍よりも常に少ないということである。予測され得る超過収益率は、ポートフォリオの収益率よりも高いことになる。別の言い方をするなら、CAPMの前提となるのは、各銘柄の株価のリズムが、市場全体のリズムと同期しているという点である。CAPMは、ある株価のリズムを、<その銘柄に固有のリズム>と<市場のリズムに照応して形態化したリズム>とに区別することを可能にしている。

効率的市場仮説

アトランダムに振る舞う株式の期待収益率は、この二つのリズムによって説明できることになる。ここからシャープは、「効率的市場仮説(Efficient market hypothesis)」を前提に、奇を衒うような結論へと向かう。効率的な市場における経済的な取引は、合理的に遂行される。その市場全体は、合理性によって構成されている。それ故に、株式市場全体で保有されている株式の割合もまた、合理的に決定されているはずである。だとすると、合理的な投資家が保有すべき最適なポートフォリオとは、保有する株式の割合を、株式市場全体で保有されている株式の割合に照応させることで成り立つことになる。

個々の合理的な投資家は、同一の情報と同一の規則に準拠した上で、同一のパラメタで最適化されたポートフォリオを保有するはずだ。それが株式市場全体と照応するのである。これを前提とすれば、合理的な投資家にとっての最適解とは、平均株価に連動するインデックスフォンドに投資することに他ならない。シャープはこのことから効率的なポートフォリオは株式市場それ自体であると結論付けた。

注意しなければならないのは、ここで想定されるベータが、過去の実績に基づいて計算されているということだ。つまり探索して観測した情報次第で、ベータは変わるのである。既に述べたように、システマティック・リスクを定量化したのがベータである。だがこの数値は、過去のファンドマネージャーが何十年もの間培ってきた経験則を記述した形式に過ぎない。

派生問題:効率的市場仮説のパラドックス

ベータはあくまでも形式的な概念となる。ベータの意味は、どのような市場を想定するのかによって、可変となる。市場でリスク・プレミアムを規定するのは、システマティック・リスクだけである。しかし、個々の株式やポートフォリオによっては、システマティック・リスクの構成はあまりにも複合性が高い。市場平均の変動に対する感応度を表すベータだけでは、到底把握し得ないのである。

加えてシャープの結論は、金融の専門家として活躍してきたアナリストたちにとって不都合極まりなかった。彼らは二つの論点から反論を加えている。それは効率的市場仮説と長期投資のリスクである。

効率的市場仮説に対する反論の背景となるのは、群集心理である。誰もが十分な情報と時間を有した状態で投資の意思決定を実践できている訳ではない。投資家が発揮できる合理性には限りがある。効率的市場仮説はこうした社会的背景に対して盲目的になっている。

一方、長期投資が利益を生み出すのは、正の期待収益が見積もれる場合に限られる。全ての経営者が合理的であるとは限らない。意思決定に失敗することで、利益を生み出さない可能性もある。

このように、シャープに対する反論は、合理性に対する懐疑心に基づいている。ネイト・シルバーが解説しているように、効率的市場仮説のポイントは、適正な株価に対する不合理な誤りが、まるでベイズの信念の如く、自ら修正されるという点にある。

「他責」志向の人間に統計学はできない

効率的市場仮説に友好的な経済学はそれ故、最終的に形成されるであろう合理性を素朴に想定してきた。この学問では、市場の参加者の多くが不合理な行動を取ったとしても、市場全体は最終的に合理的になると想定されている。この仮説の枠組みでは、市場における非合理な価格形成を「アノマリー(Anomaly)」、すなわち「異常」と呼ぶ。合理的であることが正常なのである。

しかし、市場の中で不合理な振る舞いが観られるのは、個々人が自らのインセンティブに対して合理的に反応した結果である場合もあり得る。更に言えば、マクロ経済学や社会学が想定するように、個々人の合理性と市場の合理性が照応するとは限らない。個人が個々に合理的に行為した結果として、不合理な市場が構成される場合もある。個人が合理的になったからといって、そこから創発するコミュニケーションまでもが合理的になるとは限らない。

丁度ポーカーで、強いプレイヤーが収益を上げるにはカモが必要になるのと同じように、金融の世界でも、理性的ではないトレーダーが注目を集める。このトレーダーを特に「ノイズ・トレーダー」と呼ぶ。金融市場では、このノイズがあるからこそ、取引が成り立つ。金融資産の価格を認識することができるのも、こうしたノイズのお陰である。

しかし、市場を非効率化しているのまたノイズである。ノイズ・トレーダーが存在しない市場というものがあるのならば、その世界では、誰もが真の情報を十分に所持している。ノイズのないシグナルだけで株式の売買を行なう。価格は常に合理的で、市場は効率的だ。ネイト・シルバーも指摘しているように、効率的市場仮説のパラドックスは、市場が効率的である場合には、カモを出し抜くことで収益を上げることができなくなるということにある。だとすれば、取引すること自体が不合理な選択となってしまう。もはや株式の投資家は一人もいなくなるという訳だ。

参考文献

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