問題設定:「FinTech」の概念史

一般に「FinTech」という用語は、金融テクノロジー(financial technology)の略語として知られている。これは専ら「ビジネス」の実践の現場において、主に電子メディアが発達し始めた1990年代から、金融業界によって観察されるようになっている。

しかし、この用語は決して「ビジネス」の実践のみを通じて定着した用語である訳ではない。例えばアブラハム・レオン・ベッティンガーは、既に1972年に提出した論文において、銀行で日常的に発生している諸問題の解決策を分析するための「FINTECH」というモデルを提唱している。つまりこの概念は、経済の問題領域のみならず、科学や学問の問題領域でも研究テーマとして観察されていたのである。

問題解決策:金融のグローバル化

「金融テクノロジー」の歴史は、19世紀前半まで遡ることができる。この時代から第一次世界大戦までの期間は、金融とテクノロジーが結合し始め、金融のグローバル化が進捗した期間であった。

周知のようにこの期間には、電信技術、鉄道、運河、汽船などのテクノロジーが発展したことで、金融のコミュニケーションは、既に国境を超えて生起していた。1830年代に導入された電信や、1860年代に建設された大西洋横断ケーブルは、それまで船のみで実施されていた西洋とアメリカ合衆国との通信が加速化することとなった。船への依存度を減らすことで、海上の嵐により難破船となってしまう危険も減らすことができた。

これらのテクノロジーは、世界中の金融関連情報の交換と、迅速な取引や支払いの遂行を可能にした。また金融セクターは、こうしたテクノロジーを開発するために必要となるリソースを提供し続けた。金融とテクノロジーは、本来「共進化(co-evolution)」する関連にあったと考えられる。

問題解決策:テレックス

戦後の数十年間は、金融のグローバル化が足踏みをすることになる。だがテクノロジーの発展が停止した訳ではなかった。むしろ戦時中に発展したサイバネティクス的な通信や情報技術に関しては、尚も急速に発展した。

この間、アメリカ合衆国ではクレジットカードのテクノロジーも発展していた。1950年にはダイナースクラブ社が、1958年にはバンクオブアメリカ社とアメリカンエクスプレス社が、それぞれクレジットカードを導入している。これによりアメリカでは、文字情報を交換する「テレックス(Telex)」のネットワークが整備された。これが、「金融テクノロジー」を次の段階へと進めることになる。

問題解決策:ATM

初期のコンピュータは専らIBMによって商業的に利用されていた。だが1967年には、テキサス・インスツルメンツ社によって、最初の金融計算機が開発されている。銀行は、コンピュータの最初期の採用者の一つであった。初期の商業用コンピュータは、銀行向けに設計されていた。銀行がコンピュータを利用することで、旧来のコミュニケーション過程の高速化を実現していた。

「金融テクノロジー」は、銀行の内部のみならず、その取引先にも波及していった。バークレイズ銀行は1967年、英国のエンフィールド市に最初のATMを設置した。これにより、銀行を介して取引を行う一般市民もまた、電子通信機器を介した金融取引を実施できるようになった。ATMは顧客と金融機関との間に自動化の装置を導入することにより、金融機関の人的リソースの節約を可能にした。

ATMは、専門的な技術者や金融機関の内部の者たちに限らず、広く一般に普及した金融テクノロジーであった。この限りでATMは、「金融テクノロジー」の可能性を明示的に示す最初のイノベーションとして観察されることもある。

派生問題:銀行の破綻

「金融テクノロジー」は、支払いの分野にも及んだ。1968年にはイギリスにInternet Computer Bureauが設立された。これが今日の銀行における自動決済サービスの礎を築くことになる。続く1970年代という時代は、アメリカ合衆国の連邦準備銀行によって1918年に設立されたFedwire(Federal Reserve Wire Network)が、電信システムから電子システムへと生まれ変わった時代でもある。この社会的背景から、国境を越えた支払いシステムを接続させる要求も生じていた。1973年に世界銀行間金融通信協会(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication: SWIFT)が設立されたのは、この関連においてである。

しかしながらこの直後、1974年になると、新しい決済システムとの結合から、ハーシュタット銀行が破綻した。この銀行の破綻は、「金融テクノロジー」に対する規制強化の機運を高める結果を招いた。金融、テクノロジー、そしてこれらに対する適切な規制への配慮が組み合わせることで、初めて世界の外国為替市場に安定的な基盤をもたらすことができる。規制無くして、世界経済のグローバル資本主義を語ることはできないという訳だ。

問題解決策:規制強化

無論この時代にも、「金融テクノロジー」が発達しなかった訳ではない。例えば証券の分野では、1971年にアメリカのNASDAQ30が設立されている。この設立により、1600年代後半から1970年代まで至る証券の物理的な取引が、電子的な証券取引へと移行することになった。一方消費者の分野では、1980年代にアメリカ初のオンラインバンキングが導入されている。

規制強化の機運の高まりは、むしろ金融機関のテクノロジーに対する依存度を高めたと考えられる。と言うのも、証券取引にせよ、消費活動にせよ、テクノロジーに依存した経済政策は、リスクを高めてしまうためだ。金融機関は、このテクノロジーに由来するリスクを処理するために、更なるテクノロジーを採用したのである。1980年代までには、人手で実施されていたほとんどの紙媒体の手続きが、リスク管理のためのテクノロジーによって代替された。

1974年のハーシュタット危機にせよ、その後の1982年に生じた開発途上国の債務危機にせよ、既に世界規模の問題である。そのため、この問題への解決策は、世界中の銀行規制当局間の協力を前提としていた。だがそれは、世界中の証券監督当局が協力するためのテクノロジーを必要としていた。

問題再設定:「FinTech」由来の金融危機

無論、テクノロジーに由来するリスクは消滅した訳ではない。1987年のブラックマンデー(Black Monday)は、まさに「金融テクノロジー」に起因した金融危機として生じていた。

香港を発端に生じたこの世界的な株価の大暴落の原因は諸説ある。だが少なからずこの金融危機が勃発した直後に問題視されていたのは、コンピュータで事前に設定された価格水準に基づいて自動的に売買する取引システムの存在であった。当時、この類の取引は「プログラム取引(program trade)」と呼ばれている。こうした背景から、証券市場には「サーキットブレーカー(Circuit Breaker)」をはじめとした価格変動の速度を制御するための様々な機構が導入されることになった。

遅くても1980年代後半には、世界中の金融機関が、金融市場の参加者たちや顧客たちの電子取引に基づいて、その金融サービスをデジタル化していくことになった。この関連から、「ファックス(fax)」という通信技術は、先述したテレックスを補完する役回りを担っていた。1990年代後半には、既に金融業界はあらゆるビジネスの実用的な目的を達成するための手段として、最初のデジタル産業へと変貌した。

この間、1997年から1998年に至るアジアとロシアの金融危機が勃発していた。だがやはりこのリスクへの解決策も、「金融テクノロジー」によって生み出された。複合的にコンピュータ化されたリスク管理システムそのもののリスクが観察されたことで、更なるテクノロジーの機能的な拡張が求められたのだ。

問題再設定:金融ハッカーの出現

1990年代という時代は、World Wide Web(WWW)が発展した時代でもあった。このテクノロジーの発展は、それまで「金融テクノロジー」とは不連続に進んだ。金融とインターネットとの結合は、従来のように、既存のテクノロジーの機能的な拡張だけで実現する訳ではなかった。

WWWという新しいテクノロジーの登場は、再び規制強化の機運を高める結果を招いている。確かに1995年には、ウェルズ・ファーゴ社がWWW上でオンライン口座を提供するようになった。2001年になると、アメリカの8つの銀行において、少なからず100万人の顧客がオンラインでアクセスできるようになった。2005年には、INGダイレクトやHSBCダイレクトなどのような、物理的な支店を持たない最初のインターネットバンクがイギリスに登場した。だがこれに連なり、世界中の主要な管轄区域では、リスクに対処するための新しい規制の枠組みが必要であるという認識を強めることとなった。例えば香港金融庁は1999年、電子バンキングに必要な新しい規制の枠組みを検討している。

しかし忘れてはならないのは、この1990年代という時代が、ウォール街の天才プログラマとして名を馳せていたジョシュア・レビンを筆頭とする「金融ハッカー」たちのアルゴリズムが積極的に市場に導入され始めた時代でもあったという点だ。ハッカーたちの実践は、無論規制論者側の論理とは全く異なる様相を呈している。両者の関係は決して調和的ではなく、むしろ競合する関係であった。

問題解決策:ハッカー精神

金融市場の1980年代は、まだ株式の売買が仲介役のマーケットメイカー(Market Maker)を通じて実施されていた時代であった。仲介人が取引手数料を掠め取ることを忌み嫌っていたジョシュア・レヴィンは、そのハッキングの型破りな技術力を駆使して、米国の証券市場を激変させた。コンピュータ株取引システムの「ウォッチャー(Watcher)」、アルゴリズム取引の原型である「モンスターキー(Monster Key)」、そして電子取引ネットワークの「アイランド(Island)」を創設したのは、全てレヴィンただ一人である。

レヴィンは「情報は自由でなければならない(Information wants to be free.)」というハッカー精神を旗印に、コンピュータを介して世界を変革することを目指した天才ハッカーの一人であった。彼は金融市場のアーキテクチャに関する技術的な情報を蒐集しながら、革命的な未来像を叙述していた。

当時の金融市場の社会構造は、「情報は自由でなければならない」というハッカー倫理とは相反する状況にあった。マーケットメイカーたちは、むしろ株式に関する情報を不自由にしている。レヴィンにとって、マーケットメイカーが取引手数料による利益を得るのは、不当な犯罪行為であった。実際、後の米国証券取引委員会では、この行為は犯罪として認定されている。

レヴィンの問題意識は、単に利権団体の社会構造に向けられていた訳ではない。実際、そうした組織の存在は、「情報は自由でなければならない」というハッカー倫理を実現させていく上では枷でしかなかった。トレーダーが電話で注文するために右往左往し、取引のメモ用紙に数字が走り書きされていくのを観て、レヴィンはそれが無意味で旧いデータの通信に過ぎないことを直観的に認識していた。そうした旧いデータは、しばしばデータですらなく、単なる無用なノイズでもあった。

この観点から彼は、株式取引に関する全ての情報とデータがコンピュータを介して流れていく市場を思い描いた。コンピュータがあれば、買い手と売り手のマッチングに仲介人は不要となる。トレーダーたちは、取引したいどの株についても、その価格をはじめとした情報を簡単に画面上で検索することが可能になる。わざわざ取引所の人間に確認を取らずとも、取引可能な株やその株価が直ぐにわかるのである。

ウォール街の逸脱者たち

レヴィンの発想は、投資家に仲介人を迂回させることで、投資家同士を直接的に取引させるということであった。価格が下がれば売りと買いの注文を自動的に突き合せられるプログラムを設計すれば、もはや仲介人は不要となる。人間が仲介する必要が無くなるのだ。

だがこの発想が現実化すれば、逆説的なことに、ウォール街から<ウォール街>そのものを締め出すことになる。それが他ならぬウォール街から肯定されるはずもない。レヴィンのこの提案を受けたウォール街の大物たちは、彼の発想を狂気の沙汰であると断定した。

しかしウォール街の全ての人間がレヴィンを否定した訳ではない。レヴィンの師であるシェルドン・マシュラーのようなウォール街の逸脱者(Outsider)たちにとって、レヴィンの技術力はむしろ有用であった。マシュラーはデイテック証券でSOESという小口注文自動執行システムの株価変更表示の一瞬の遅延を法的な抜け穴として不正利用することで、マーケットメイカーから利益を掠め取っていた。その荒々しい方法から、彼はウォール街全体を敵に回していたのである。

SOESを使いこなす上で、マシュラーはレヴィンの技術力が有用であると考えていた。レヴィンはマシュラーの期待に応じて、「ウォッチャー」というシステムを実装した。それはマーケットメイカーが知り得なかった情報をコンピュータの画面に表示することで、注文を即座に執行することを可能にする。

ウォッチャーはデイテック社のトレーダーのみならず、SOESを利用するデイトレーダーたちにも幅広く普及した。これにより、不自由で不公平なナスダックのマーケットメイカーたちの利権は弱体化することとなった。そしてレヴィンは追い打ちを掛けるかのように、「アイランド」を設計する。それは価格のマッチングをはじめとしたマーケットメイカーの役割を完全に自動化した電子取引市場である。

この取引市場では、マーケットメイカーによる不当な搾取など起こり様もない。株取引に関する全ての情報はコンピュータに公開される。投資家たちは、それぞれ自由かつ公平に、速く安い価格で株を売買できる。アイランドはハッカー倫理を体現した電子取引所として現実化したのである。

アイランドのアーキテクチャは、最先端のデータセンターと最高級のハードウェアで構築されることで、ナスダックのシステム以上の性能を発揮した。レヴィンはこの時代で既に分散コンピューティングを実装することで、サーバの冗長化を実現していた。この負荷分散により、注文の高速処理が可能になった。こうしたアーキテクチャを設計して実装したのは、レヴィンが率いるチームではない。驚くべきことに、レヴィンただ一人が、このアーキテクチャの設計と実装を成し遂げたのである。

しかしレヴィン自身は、自身が所属する企業で一切の役職も持たなかった。彼を気遣った経営層から「取締役副社長」という肩書を付与されたこともあったが、彼自身は肩書をむしろ拒否していた。彼には人間を管理する動機が無かった。彼は唯自分のやりたいことだけをやっていただけだ。レヴィンが求めているのは、金でもなければ地位でもない。名誉や社会的な承認などでもない。彼は一貫して「情報は自由でなければならない」を体現し続けていたのである。

派生問題:高頻度取引のアルゴリズム

尤も、アイランドの社会的な影響力が高まると、それに連れて企業の規模とアイランドへの要求水準も跳ね上がることになる。やがてレヴィン一人の開発リソースではアイランドの保守は困難となった。そのためデイテック社は、この関連から経営体制やプログラマの開発体制を一新しようとした。だがこの「一新」には、幾つかの「膿出し」が伴った。と言うのも、もともと周囲から目を付けられていたマシュラーやその部下たちの違法取引が、この過程で問題視されたためである。

こうした組織の構造変異を経て、レヴィンのハッカー精神は次の段階へと突入した。レヴィンらの次なる一手は、世界初となる「メイカー/テイカー(Maker/Taker)」のモデルをアイランドのアーキテクチャ上に実装することであった。このモデルでは、注文の主から手数料を徴収するだけではなく、市場に流動性をもたらす注文の主には報酬金を支払うことになる。これにより、電子取引市場の流動性を高める取引にインセンティブを与えようとした訳だ。

しかしながら、この一手は諸刃の剣となった。と言うのも、流動性に対する報酬という制度は、<安く買って高く売ること>と<高く売って安く買い戻すこと>以外の第三の道として成立することで、レヴィン自身が毛嫌いしていた中間搾取の余地を与えてしまったからだ。しかもこのオープンスペースに食い込んできたのは、人間の仲介人ではなく、「高頻度取引(High-Frequency Trading: HFT)」のアルゴリズムとして実装されたボットである。レヴィンはこの制度が怪物を生み出したことを痛感し、後悔したという。

派生問題:「人間」不在の金融市場

金融市場に自由と公平をもたらすことを理念としていたレヴィンのアーキテクチャは、マーケットメイカーを駆逐する代償として、HFT業者によるボットの参入を促進することとなった。

この意味で、レヴィンの理念は「極端に」達成されたのだと考えられる。ウォッチャーやアイランドのようなアーキテクチャは、ウォール街の仲介人を締め出すはずであった。だが彼ら仲介人だけに留まらず、これらのアーキテクチャは、「人間」それ自体を経済的なコミュニケーションから締め出したのである。結果的に金融市場は、高速のアルゴリズムによって駆動するボット同士が、「人間」を無視したまま、株取引を巡る競争を展開することとなる。「人間」はもはや、このコミュニケーションの<外部>に位置付けられることとなる。

高性能のサーバ、高速のネットワーク通信、大規模ハードウェアのようなアーキテクチャを前提として、より速く優秀なアルゴリズムが搭載されたボットたちが、「人間」の投資家や仲介人から利益を搾取していく。アルゴリズムは他のアルゴリズムを触発することで、注文が市場に電光石火の速度で飛び込む。このボットたちの振る舞いは、その計算機ならではの速度を抜きにして観れば、他ならぬレヴィン自身が忌み嫌っていたマーケットメイカー以外の何物でもない。

アイランドのようなアーキテクチャ上でプレイするボットから観れば、市場は確かに自由で公平かもしれない。だが「人間」にはその実感は得られない。これは天才レヴィンの頭脳でも予測し得ない皮肉であった。

そして、米国証券取引委員会は遂に、証券不正取引の観点からデイテック社を告発するに至る。レヴィンはデイテック社を離れざるを得なくなったものの、彼のハッカー精神が衰えることはなかった。しかし米国証券取引委員会に罰せられた経歴は、彼の大きな障害になっていた。彼は幾つかの新しいアーキテクチャを設計することによって、コンピュータを利用した新たな革命を起こすことを目指したが、それがサービスとして実装される機会はついぞ訪れなかった。

問題再設定:アルゴリズム vs アルゴリズム

「金融テクノロジー」としてのFinTechは、テクノロジーに由来するリスクをテクノロジーで解消していくテクノロジードリブンの金融市場を生み出した。そしてこのテクノロジカルな金融市場を言わば「母胎」とすることで、金融ハッカーによる「アルゴリズム」が産み出された。この「アルゴリズム」には、もはや天才でも歯が立たない。「アルゴリズム」に太刀打ちできるのは、「アルゴリズム」だけだ。

「想像してみて欲しい。毎秒、何百、何千もの注文が高速ネットワークを介して市場に飛び込み、そのいずれもが相互に先を越そうと競争している。市場で株価が上下に動作するのと同じ速度で注文は取り消され、違う価格で再度提出される。(略)注文の猛烈な頻度と市場に飛び込む狂ったような速度が合成され、全く新しい市場の生態系が築き上げられる。それは投資家が苦労して稼いだ収入を預けておく場所というより、映画『マトリックス』の中の何かのように思えた。」
Patterson, S. (2012). Dark Pools: The rise of the machine traders and the rigging of the US stock market. Crown Business., p37.、ただし強調は筆者。

参考文献

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