問題設定:「株式市場の予測者たちは予測できているのか」
フランスの数学者ルイ・バシュリエの博士論文『投機の理論(Théorie de la spéculation)』は、金融市場の営みがブラウン運動に従っていることを早期に指摘する理論であった。周知のように、近代のファイナンス理論では、このブラウン運動に従う株価の特徴を「ランダムウォーク(random walk)」という概念で再記述している。それは、金融市場の動力学を前提とした上で、市場における金融商品の価格は予測不可能であることを指し示す概念に他ならない。
アルフレッド・コールズ三世が1933年に提出した「株式市場の予測者たちは予測できているのか」と題する論文は、最も早期に提起されたランダムウォーク仮説の実証研究の一つである。この論文の参照問題もまた価格変動の予測不可能性に他ならない。この論文では、株価の予測者たちの投資情報サービスを精査することにより、その通りに株式を売買した場合のパフォーマンスが詳細に検証されている。
「株価予測の代理人たちの平均的なパフォーマンスは、純粋な偶然(pure chance)に基づくあらゆる投資のパフォーマンスの平均値を約4%下回ると結論付けられる。」
Cowles 3rd, A. (1933). Can stock market forecasters forecast?. Econometrica: Journal of the Econometric Society, 309-324., 引用はp.318より。
モーリス・ケンドールの1953年に提出した論文もまた、「偶然(chance)」を比較の観点に採用している実証研究となっている。
「もし時系列が均質ならば、ある週から次の週への価格の変化は、その週からその次の週への変化とは実質的に独立しているように思われる。これだけでも、時系列それ自体から週ごとの価格を予測することが不可能である点を指摘するのは十分である。加えて、もし当の時系列が現実的に彷徨っている(wandering)のならば、そうした時系列の中で『観測される』であろうトレンド(trends)や周期(cycles)のような体系的な運動は、いずれも幻想(illusory)となる。そうした時系列は『彷徨っている』ように見える。恰も偶然の悪魔(the Demon of Chance)が、その分散が一定となる対称的な母集団から一つの数値を週に1回アトランダムに抽出して、それを今週の価格に加算し、来週の価格を決定しているかのようである。」
Kendall, M. G., & Hill, A. B. (1953). The analysis of economic time-series-part i: Prices. Journal of the Royal Statistical Society. Series A (General), 116(1), 11-34., 引用はp13より。
これらの実証研究の報告は、チャートを用いたテクニカル派の分析の可能性を一掃すると共に、ランダムウォーク仮説を強調する事例として注目を集めた。ケンドール論文では「悪魔(the Demon)」の形象で叙述されていた「偶然(Chance)」という概念は、後の1959年、ハリー・ロバーツによる「モデル化」の対象となった。
「ケンドールが発見したのは、証券価格の変化は、それが適切に設計されたルーレットによって生成されたかのように振る舞うということである。そのルーレットの結果はいずれも過去の歴史からは統計的に独立しており、それらの相対的な頻度は時間を通じて合理的に安定化している。このことが意味するのは、一度ルーレットの異なる結果に関する相対的な頻度(確率)についての良き測定を可能にする十分な根拠を蓄積したなら、プレイヤーはこれらの相対的な頻度のみに基づいて予測を実行し、現在のルーレットにおけるスピンのパターンには何ら注意を払わないということである。現在のスピンがプレイヤーの予測に関連付くのは、このスピンによって相対的な頻度をより精確に測定できるようになる場合に限られる。このギャンブルの表現で言えば、ルーレットは『記憶を持たない』。」
Roberts, H. V. (1959). Stock-market “patterns” and financial analysis: methodological suggestions. The Journal of Finance, 14(1), 1-10., 引用はp3より。
この関連からロバーツはコンピュータを利用することで価格変動のシミュレーションを実行した。その際、相場の水準(levels)は、「偶然モデル(chance model)」によって出力された結果の累積によって生成されたかのように変動するモデルとして記述されている。例えばガウス分布を仮定するなら、そのサンプリングは、週ごとの変化の平均とその標準偏差が与えられることで可能になる。価格変動のシミュレーションは、この株価の変化値を累積的に加算していくことによって実現する。チャート分析ではお馴染みの「三尊天井(head-and-shoulders)」や、ダウ平均の水準の推移までも人工的に再現することができる。
ロバーツの研究が指し示しているのは、株価の週ごとの変化は乱数で生成された時系列と識別が付かないという点である。それはテクニカル派の方法論的陥穽を主張すると共に、ランダムウォーク仮説を肯定する有力な動機を提供している。
問題解決策:「投機」と「偶然のゲーム」の区別
投機は「偶然のゲーム(a game of chance)」ではないというのが、ランダムウォーク仮説に対する投機家たちの反論であった。かの「ダウ理論(Dow’s Theory)」を世に広めたS・A・ネルソンの”The ABC of Stock Speculation”によれば、運や偶然に委ねるだけの賭けは「ギャンブル(gambling)」なのであって、投機からは区別される。投機には、この場合のギャンブルとは異なり、知的な努力が必要になるのだという。
テクニカル派のチャーティストたちの振る舞いに表れているように、ここでいう知的な努力とは、未来の株価を予測することなのだと思われるかもしれない。実際、テクニカル派のチャーティストたちが実践している未来予測は、このダウ理論から影響を受けて成り立っている。彼ら彼女らは自らがチャールズ・ダウの訓えから予測の方法を学んだと考えている。
派生問題:「ダウ理論」はテクニカルなアプローチなのか
「ダウ理論(Dow’s Theory)」は、テクニカル派の教義の一つになっている。彼らの語る知的な努力とは、未来予測のための理論武装なのである。しかし、テクニカル派のチャーティストたちの振る舞いは、ダウ理論を知る上ではミスリードとして働いている。「ダウ理論(Dow’s Theory)」がチャールズ・ダウの記述した理論であると考える時点で、既に誤った歴史認識を抱いてしまっている。
ダウが自身の理論を書籍として出版したことは一度も無い。ダウはただ、ウォール・ストリート・ジャーナルに連載していた論説で株式市場の動向を考察していただけである。ダウの死後、1903年、これらの論文はS・A・ネルソンによって編集され、”The ABC of Stock Speculation”として出版された。「ダウ理論」という用語が普及し始めたのはこの時である。
1922年になるとウィリアム・ピーター・ハミルトンの『株式市場のバロメータ(The Stock Market Barometer)』が出版され、1932年にはロバート・レアのまさに『ダウ理論(The Dow Theory)』と題される書籍が出版され、次々とダウ理論が再記述された。ダウは自身の理論を工業株と鉄道株の領域で応用していた。だがその理論は他の領域でも再利用できる。ハミルトンが整理しているように、ダウの理論は幾つかの抽象的な理念として整理することができる。その理念は、様々な市場の価格変動が、長期的でリズミカルな周期(rhythmical cycle)を描いているという内容である。レアはこの関連からダウ理論を三つの仮説に落とし込んでいる。
- 主要トレンド(primary trend)は不可侵(inviolate)である。
- 平均は全てを織り込んで(discount)いる。
- ダウ理論は百発百中(infallible)ではない。
これら三つの仮説は、一見すると現代の通俗的なテクニカル派のチャーティストたちの仮説と類似しているように視える。テクニカル派の分析者たちは、ダウの先見の明を主張すると共に、彼の理論が普遍的かつ永続的であると主張する。例えばチャールズ・D・カークパトリックによれば、平均には全てが織り込まれているというダウの信念が意味しているのは、平均株価が産業の形状(shape)を予告(foretold)しているということである。故に平均株価は、経済の健全性を理解する上で有益な指標になるという。
「価格が、事象を予測するものにさえ到達するあらゆるもの、というのはつまり期待(expectations)も含めたあらゆるものを織り込んでいるという概念は、ダウの仮説の中でも最も革命的な仮説である。」
Kirkpatrick II, C. D., & Dahlquist, J. A. (2010). Technical analysis: the complete resource for financial market technicians. FT press., p77.より引用。
問題は、こうしたテクニカル派のチャーティストたちが語るダウ理論が、ダウの理論それ自体であるか否かだ。
問題解決策:形式としての「トレンド」
ダウ理論によれば、平均株価は全てを織り込んでいる。株式市場における取引の総体と傾向を観れば、ウォール街にある過去、現在、未来に関するあらゆる知見の大部分が織り込まれている。一部の統計分析者が実施しているように、市場平均にコモディティ指数、銀行決算額、市場変動率、あるいは国内外の取引量などのような指標を追加する必要は無い。何故ならウォール街は、こうした情報を全て知っているためである。
市場が知り得る情報の中には、人為の情報のみならず自然の情報も含まれる。たとえ突発的な自然災害が発生したとしても、市場はそうした想定外の出来事も素早く取り込み、価格という形式で反映させるためである。したがって、市場の状態を俯瞰する上で、平均株価は代表的な概念として観察できる。その際ダウ理論は、この価格の観察を通じた市場状態の記述の補助線として、「トレンド(trend)」という概念を形式的に導入している。
ダウ理論は、市場の「トレンド」を「主要トレンド(primary/major trend)」、「中間トレンド(intermediate trend)」、「末梢的トレンド(minor trend)」の三つに区別している。この三つのトレンドはそれぞれ「波(wave)」の比喩で記述される。主要トレンドは潮流を表す一方で、中間トレンドは潮流の中で派生する波を意味する。他方、末梢的トレンドは波の上に生じる小波を意味する。
ダウは作用反作用の法則が物理的な世界のみならず市場にも適用されると確信していた。株価が「天井」に達すれば、多くの場合、そこから緩やかな下落が伴う。それから天井付近にまた戻る。もしこの後に株価が下落すれば、ある程度のところまで下落し易くなる。
物理現象としての「波」と同じように、トレンドには様々な周期がある。数分や数時間の短いトレンドもあり得れば、50年から100年の長期的なトレンドもあり得る。無数のトレンドが相互作用を繰り返すために、株価の時系列データは高度な複合性を構成する。
ダウ理論では形式上、1年以上持続するトレンドを主要トレンドと定義している。だがトレーダーは短期的な時間幅で売買するために、その都合から主要トレンドの期間は半年間であると定義される場合もある。極端な話、デイトレーダーの観点から観た主要トレンドは2,3日である場合もある。
つまりトレンドという概念は、観測者が存在して初めて定義されることになる。これは注意を要する論点である。何故なら、観察者次第によって、トレンドの区別は別のあり方でもあり得るということになるからだ。トレンドは偶発的な概念なのであって、定義の上での必然性が無い。そうなると、同じ「トレンド」を主題としていても、ダウの観察とテクニカル派の観察の間には差異があるという点にも注意を払わざるを得なくなる。
ダウとテクニカル派の差異
ダウ理論を継承したと自覚しているテクニカル派のチャーティストたちは、単に上昇トレンド(Uptrend)と下降トレンド(Downtrend)の区別を導入する場合がある。この前提にあるのは高値と安値の差異だ。上昇トレンドが高値と安値の上昇と定義されるのに対して、下降トレンドはこの反対の構造を成す。
一方、この高値と安値がほぼ水平に移動している場合は、「横ばい」となる。この「横ばい」は特にトレンドの無い状態と定義される。価格は連続的な高値と安値を形成しながら変動する。トレンドは、その高値と安値の方向によって規定される。この高値と安値の区別は、抵抗線と支持線の区別によって形式化される。安値に対応するのが支持線だ。支持線は買いの勢いが売りの勢いを上回る状態を表現する。
多くのテクニカル派のチャーティストたちは、この支持線が以前反発した下値と見做している。つまり直近の支持線は過去の抵抗線が指し示す高値と同値となるという訳だ。抵抗線は支持線の対概念となる。支持線とは逆に、抵抗線は売りの勢いが買いの勢いを上回る状態を表現する。抵抗線を介して、価格は上昇しなくなり、下落に転じる。
チャーティストたちは抵抗線を過去に反落した高値と捉えている。抵抗線と支持線は相互に逆転する場合がある。何故なら、頂点で売り損なった人々は、再度同じ機会に直面すれば売りたいと考えると期待されるためである。それまで下がり続けていた相場が再び上昇し始めて、以前のピークに到達しつつあるその瞬間、チャーティストたちは抵抗線を「テスト(test)する」。それは、言うなれば審判の時なのである。
もし相場の水準が抵抗線を突破(break)すれば、以前の抵抗線は支持線と化す。その後しばらくは上昇が持続すると期待される。逆に、相場が抵抗線を突破しなかった場合や、これまでの支持線となっていた安値を下回った場合、投資家や投機家たちは売りを推奨されることになる。
チャーティストたちの目線では、支持線と抵抗線の区別が、上昇トレンドと下降トレンドの区別の前提となる。上昇トレンドが持続している限り、次に到来する支持線の水準は、以前の支持線水準よりも高くなければならない。抵抗線水準についても同様である。もしこの条件が満たさなかった場合、上昇トレンドが終焉に近付いていることになる。チャーティストたちはここから警告のシグナルを判読しようとする。下降トレンドの分析では、これらの逆の関連が着目される。
問題解決策:経済指標としての株価平均
これを前提とすれば、ダウ理論とは、戦略上基本的に相場が直近のピークよりも高くなった時には買いを、直近のボトム(bottom)を下回った時には売りを採ることを推奨する理論であるということになる。それは買いと売りのタイミングを予測する理論である。
しかし、このダウ理論は、ダウ理論それ自体ではなく、チャーティストたちによって再記述されたダウ理論である。ダウ自身はトレンドの予測を意図していた訳ではない。ダウの観点は、大きな上昇相場や大きな下降相場から中間部分を分析することに向けられていた。
ダウ理論が株式相場のトレンド方向を予測するために応用されるなどと、ダウ自身は夢にも思わなかったであろう。むしろダウが目指していたのは、平均株価の概念からもわかるように、株式相場の方向性を経済一般の状態を知るための指標(index)として活用することなのである。
「ダウ理論は投機のゲームで勝利するために考案された体系ではないということを心に留めておこう。確かに平均は一意専心に判読されなければならない。願望が思想の父である時、平均は我々を欺くようになる。聞いたことがあると思うが、魔術師の杖に手を出してしまう新規参入者は、悪魔を育ててしまう傾向にある。」
Hamilton, W. P. (1922). The Stock Market Barometer; a Study of Its Forecast Value Based on Charles H. Dow’s Theory of the Price Movement. Harper & Bros., p133.より引用。
ダウは、工業株と鉄道株を区別した上で、双方の関連を指摘している。前者は工業の領域で、後者は鉄道の領域で、それぞれの利益と期待の傾向を表象している。ダウの観点では、これら双方は互いに一致していなければならなかった。例えば、工業は継続的に商品を生産しているだろう。だがそれは、鉄道による商品の出荷があってこそである。さもなければ工業の利益と期待は減衰するはずだ。生産された商品が顧客に出荷されなければ、工業の利益は生み出され得ない。鉄道は、生産された商品が売買されていることを確認しなければならない。
現代社会では無論、この鉄道の平均は輸送の平均に代替されるべきであろう。飛行機やトラックなど、商品の輸送手段は多様化している。こうした社会構造に応じて、バロメータとなる株式の銘柄も変えていく必要がある。要するにダウ理論とは、株価を経済指標として観察する場合の意味論なのであって、その意味論は社会構造との関連から変異し得るのである。
問題解決策:ダウ理論の脱テクニカル化
バートン・マルキールが明言しているように、ダウ理論の機構が指し示すシグナルは、株価の未来予測には何の役にも立たない。売りのシグナルが生じた後のパフォーマンスは、買いのシグナルが生じた後のパフォーマンスと何ら変わらないのである。ランダムウォーク仮説を支持するマルキールは、それ故に市場平均を構成している代表的な銘柄のバイ・アンド・ホールド戦略の方が、テクニカル派のダウ理論的な戦略よりも優れていると指摘する。何故ならこのバイ・アンド・ホールド戦略では、余分な手数料を支払わずに済むためである。
テクニカル派のチャーティストたちの未来予測は、我々を「勝者のゲーム」ではなく「敗者のゲーム」へと導く。したがってダウ理論は、ダウ自身の観点から観ても、テクニカル派のチャーティストたちのパフォーマンスから観ても、チャーティストたちが想定する意味での未来予測としては機能しないことがわかる。
派生問題:「考え得るもの全て」のパラドックス
ハミルトンは、アクティブ運用が遭遇する自己言及のパラドックスと同様の問題に気付いていた。
「ウォール街をその内側からわかり易く考察することは困難で、多くの観察者たちによって不可能であると証明されている。丁度市場がそのマニピュレータ(manipulator)よりも大きいこと、あらゆる金融機関が集約しているものよりも大きいことが示されるように、株式市場のバロメータは株式市場それ自体よりも大きいということは事実である。」
Hamilton, W. P. (1922). The Stock Market Barometer; a Study of Its Forecast Value Based on Charles H. Dow’s Theory of the Price Movement. Harper & Bros., pp15-16.
しかし、そうした市場のバロメータもまた、経済システムの諸要素となる経済的なコミュニケーションによって記述されている。故にそれは、経済システムの自己言及を超える概念ではない。未来予測が未来予測として機能し得るのは、この自己言及のパラドックスが脱パラドックス化されている場合に限られる。
ハミルトンは、株価の平均に<考え得るものの全て(every conceivable thing)>が反映されていると主張する。しかし、仮にそうだとしても、ここでいう<考え得るものの全て>とは、経済のドメインにおける<全て>に限定される。経済のドメインは、社会システムの部分でしかない。社会には、経済の他にも、政治、科学・学問、教育、法、芸術、マスメディア、医療、宗教などのような様々なドメインが分化した状態で構成されている。
したがって、ここでいう株式市場のバロメータは、あくまで全体社会のサブシステムである経済システムの自己言及によって構成されている。故にこのバロメータが言及しているのは、経済システムの内部に過ぎない。つまり株式市場のバロメータは、経済システムの内部で自己言及的に構成された<考え得るものの全て>に言及しているのであって、全体社会の<考え得るものの全て>に言及している訳ではないのである。
問題解決策:株価平均「線」による変化「点」検知
このように、株式市場のバロメータが言及している<考え得るもの全て>という概念は、社会システムにおける自己言及のパラドックスを孕んでいる。このパラドックスを脱パラドックス化しているのは、ハミルトンが記述している「線(line)」という形式である。ここでいう平均の「線」とは、限られた範囲内における十分な日数の取引の終値の連続である。
「線」は、累積(accumulation)や分布(distirbution)を指し示す形式である。この形式としての「線」は、平均価格の上昇または下降の移動も描写する。それは一時的な、あるいは二次的であっても、市場一般の方向性の変化を表現している。つまりハミルトンにとって平均の「線」とは、ある種の変化「点」検知(Change-point detection)として機能しているのである。
「双方の平均値によって構成された過去の最低値や最高値は、市場の転換を表現するもの(representing the turn of the market)と見做すのが最善である。」
Hamilton, W. P. (1922). The Stock Market Barometer; a Study of Its Forecast Value Based on Charles H. Dow’s Theory of the Price Movement. Harper & Bros., p158.より引用。
この引用文の直後にハミルトンは、平均に「絶対的な数学的精度(absolute mathmatically accuracy)」を期待する必要は無いとも補足している。つまりダウ理論を未来予測的なユースケースで応用したハミルトンの理論は、株価平均線の変化点検知に基づく発見探索的な姿勢の理論であるということになる。
ダウ理論に準拠したハミルトンの記述を<考え得るもの全て>に伴う自己言及のパラドックスから遠ざけることを可能にしていたのは、この発見探索的な姿勢であると考えられる。言うなればヒューリスティックに、「厳密な<考え得るもの全て>」と「近似的な<考え得るもの全て>」の区別を導入したことこそが、ダウ理論を再利用したハミルトンの功績なのだ。
問題解決策:モメンタム理論としてのダウ理論
テクニカル派のチャーティストたちからダウ理論を剥奪すると共に、ハミルトンの発見探索的な姿勢に焦点を当てるなら、我々は経済指標の意味処理規則としてのダウ理論の機能を未来予測からは区別した上で分析することが可能になる。
上述したコールズの1933年論文はランダムウォークに従う金融市場を前提とした効率的市場仮説の発展に大きな貢献を果たした。ダウ理論は彼の批判的な意識に基づいた検証の対象にもなった。コールズはダウ理論の検証の際に、ハミルトンの社説における市場予測を「強気(Bullish)」と「弱気(Bearish)」と「中立(Neutral)」の区別を導入している。弱気のシグナル(signal)と強気のシグナルの区別は、丁度市場のショート(short)とロング(long)の区別に対応する。弱気ならばショートを、強気ならばロングを、それぞれ推奨するのである。一方、ニュートラルなシグナルにおいては、無リスク資産に投資することが推奨される。
コールズは、ダウの指標を株式分割と株式配当、そして見積もり取引費用に応じて調性した上で、ダウ理論が提供するタイミング戦略に対する総収益を計算した。コールズがこのハミルトンの戦略の比較対象として選定したのは、同期間の株式市場に100%投資する戦略である。そして彼は、ダウ理論の戦略に準拠した場合には年率12%の利回りになるのに対して、100%の株式ポートフォリオに準拠した場合は年率15.5%の利回りになると結論付けている。
コールズはこの結果をダウ理論の機能不全の根拠として指し示す。しかしこのコールズの注意深い検証の盲点となったのは、相対リスク(relative risk)の差異を調整することである。コールズによれば、ハミルトンは、検証期間中の26年間のうち、55%がロング、16%がショート、市場外は29%であった。これらの数値は、ハミルトンの戦略のシステマティック・リスクが100%から程遠いことを言い表している。
実際、平均ベータ$$0.55 – 0.16 = 0.39$$の粗い近似を利用すると、ダウ戦略はリスク調整後の収益$$0.12 – [0.05 + 0.39 (0.155 – 0.05)] = 0.029$$を得る。つまりハミルトンの戦略に対するコールズの解釈は、リスク調整後の水準で、年間290ベーシスポイント(basis point)を獲得するように思われる。
コールズはまたハミルトンの推奨に対するノンパラメトリックな分析も実施している。それは、強気と弱気の市場を正確に言い当てている頻度の報告となっている。255の予測のうち、彼はハミルトンによる推奨事項の変更のみをデータとして抽出した。そして彼は29の強気の予測、23の弱気の予測、そして38の中立の予測を分析することになる。これらの分析からコールズは、ポジションの変化の半分は利益をもたらし、もう半分は無益となっていると結論付ける。
この分析から不可避的に到達する帰結は、予測の的中率は、投資家が自身でコイントスしたのと同様に、0.5になるということである。つまり予測とその誤差の分布は一様になってしまうという訳だ。しかしながらコールズは、株価が上昇している市場における強気の予測の反復と、株価の下落している市場における弱気の予測とを区別する際、その予測の反復の有効性を考慮している訳ではない。例えば新興国市場で肯定的なコールが連続的に発生したとしても、コールズの検証においては、それが一つのデータとして還元されてしまう。ダウ理論がモメンタム戦略を採用していることを踏まえるなら、強気の反復は更なる強気を喚起し、弱気の反復は更なる弱気を換気する。
ダウ理論のニューラルネットワーク
「ダウ理論とは何か」という問いは、1900年代から金融市場のアナリストたちを悩ませてきた。だがハミルトンの呼び掛けと近代発展した非線形的な統計的な方法を組み合わせれば、このダウ理論の基礎を理解することが可能になる。
ダウ理論とは、「モメンタム理論(momentum theory)」である。それは非線形の時系列的な相互作用によって駆動されるシステムの複合性を記述した理論なのであって、単なる段階的回帰(stepwise regression)の手続きに終始する理論なのではない。1998年、このことに気付いていたステファン・ブラウンらは、そのレビュー論文において、このモメンタム理論としてのダウ理論を同時代のニューラルネットワークの発展に接続させて次のように述べている。
「近年の人工知能を基盤としたニューラルネットワーク(artificial intelligence–based neural net)の発展により、理論(theory)に入力できると考えられるデータのあらゆるパターンを探索することが可能になっている。こうした手続きはまた、ハミルトンの時代と彼が社説を記述するのを辞めた後の双方において、ダウ理論の性質を調査するために利用できるハミルトンのオートマトン(Hamilton automaton)を構築することをも可能にする。」
Brown, S. J., Goetzmann, W. N., & Kumar, A. (1998). The Dow theory: William Peter Hamilton’s track record reconsidered. The Journal of finance, 53(4), 1311-1333., p1323より引用。
この時代の人工知能は、金融市場で生成(generate)された時系列データに潜在化している反復のパターンを識別しようとする実務家の間で注目を集めていた。人工知能が発見したパターンは、市場の力学を反映させていると同時に、未来の市場の動向を予測することも可能にするというのが、彼ら実務家たちの信念となっていた。そうしたパターンは、「取引のルール(trading rules)」を生成(generate)すると考えられていた。
ブラウンらはこの関連から、「特徴ベクトル分析(Feature Vector Analysis)」を導入することで、ハミルトンの推奨事項の予測を試みている。特徴ベクトル分析はハミルトンの意思決定過程のモデル化に適している。この分析は、過去の価格系列の力学の特徴を「トレンドの形状(trend shapes)」に変換する。この分析の機能は、データセットの「位相的(topological)」な特性を増幅させる。市場における活動としては、上昇傾向、下降傾向、三尊天井(head and shoulders)、そして抵抗の水準などが挙げられる。
再帰的ニューラルネットワーク(recurrent neural net)は、こうした形状を入力として参照することで、1902年から1929年までの期間の訓練を通じて、任意の時点におけるハミルトンの推薦事項の状態に関連する系列の特徴を識別することを可能にする。そしてこのアルゴリズムは、非線形的な関数による特徴写像を展開する。
「前処理されたデータに対するクラスタリングにより、データの中の有意なパターンを識別することが可能になる。一般的にニューラルネットワークによって識別されるモデルを解釈することは困難だ。しかし、ニューラルネットワークによって学習された予測の関数を解釈することは可能である。我々の方法論を他のモデリング技術から区別するのは、特徴ベクトル分析によるトレンド形状の識別なのである。」
Brown, S. J., Goetzmann, W. N., & Kumar, A. (1998). The Dow theory: William Peter Hamilton’s track record reconsidered. The Journal of finance, 53(4), 1311-1333., p1325より引用。
ブラウンらによれば、特徴ベクトル分析の方法論は、「最適な」取引ルール(“optimal” trading rules)を特定する方法へと拡張できる。この分析のアプローチに追従していけば、もはや事前に取引ルールを指定する必要は無い。探索はパターンの領域で直接的に実行される。
ニューラルネットワークのアルゴリズムは、縮減された関数の形式をデータへと適合させるための統計的な処理である。それは柔軟な非線形性の仕様を提供するという点で、段階的回帰の手続きからは厳密に区別される。入力に対するアフィン変換を介する以上、ニューラルネットワークは、ロバーツが設計したような「偶然モデル」でもない。ブラウンらの主張を要すれば、ハミルトンの1902年から1929年までの市場予測にニューラルネットワークによる推定を適用した結果は、ダウ理論が社説の編集者によるアトランダムな意思決定過程を超えるものであったことを指し示している。
参考文献
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- 竹田聡(著)『証券投資の理論と実際 ―MPTの誕生から行動ファイナンスへの理論史―』学文社、2009